戦争と風化する記憶

悲しい現状

今日は、終戦記念日。

テレビ番組はコロナの話題ばかりで、ほとんど、戦争の話をしていない。

広島、長崎の原爆死没者慰霊式・平和祈念式の話題も少なかった。

ある書き込みサイトで、こんな記述を見つけた。

「終戦前後に放送されるドラマ(戦争ドラマ)は、何故、つまらないのでしょうか? 」

その、返答が

『そうですよね。 たまには日本軍が勝ちまくる、痛快な戦争ドラマが見たいですね。』

悲しみ以外の感情は出てこなかった。

まだまだ、他国では戦争で苦しんでいる人もいる。

戦争体験や原爆被害を受け苦しんでいる日本人もいる。

人間の記憶は、時間とともに忘れ去られることも多い。

でも、忘れてはいけない記憶もあると思う。

母への思い

私の親は、戦争体験者だった。もちろん、子供だったため、戦地に行ったわけではない。

しかし、登校前に山に芋づるを取りに行き食べる。

学校に行っても、勉強ではなく、校庭で畑を耕していた。

空襲警報が出れば、洞穴に隠れていたと、リアルな話を聞かされていた。

一番、印象に残っているのは、

「お米なんかない。お茶碗にはお湯が入っていて、自分の目玉がうつる、

それを米だと思って食べる。戦争中はそんなもんだ、

だから、一粒のお米も残してはいけない」と、白湯をおかゆと見立てて食べていたという話。

その母も数年前に他界はしたが、母から聞かされた、戦争中の苦労話は心の中に残っている。

子供のころは、またその話と、飽き飽きしていた記憶もはっきりしている。

しかし、50歳も過ぎ、人生を振り返った時に、母の言葉の重みを思い出す。

思い出す日

過去を振り返っても変わらない。今を生きることが、精一杯。

まして、コロナの影響で、日常生活が激変して、それどころではないと言われそう。

それでも、過去の戦争で苦しんでいる人、今、戦争に巻き込まれている人がいる事実。

過去の教訓を忘れないことが、よりよい未来への道に続くような気がしてならない。

一瞬でいいから、戦争について考えてほしいと、私は願う。

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